塩のことわざ・慣用句
製塩方法の歴史的な変化
塩の近代史メモ
昔の塩と今の塩
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昔の塩はおいしかったらしい。昔風の塩が欲しい。昔の塩はどんな塩だったのだろうか。という質問がよくありますので、昔の塩のご紹介をします。
今生きている人で最も古い昔の塩といえば昭和初期くらいでしょう。当時は入浜塩田でかん水をとり、平釜で結晶にするのが最も古い方法でした。しかしかなり真空式多重効用蒸発缶も使われていました。ただし母液注加法といって苦汁の中で結晶化させる方法でスケール(海水中の湯垢、主成分は石膏)の付着を防止していましたから、少し組成は違います。全体的に石膏と水分が非常に多いのが特徴です。特に平釜の塩は極端です。ベタベタして水切りが悪く黒っぽい色をしていたと考えられます。
真空式では遠心分離機が導入されてかなり水分は少なくなっています。
昭和11年(1936)の分析例
(製塩用図表集1954から引用)%
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水分 |
不溶分 |
石膏 |
硫マ |
塩カル |
塩マ |
塩カリ |
塩分 |
平釜 |
10.4 |
0.06 |
2.76 |
1.26 |
0 |
2.51 |
0.36 |
82.3 |
蒸気利用 |
8.2 |
0.02 |
1.00 |
0.42 |
0 |
1.40 |
0.19 |
88.2 |
真空式 |
2.7 |
0.07 |
1.11 |
0.37 |
0 |
0.38 |
0.23 |
93.9 |
現在の並塩 |
1.3 |
0 |
0.04 |
0 |
0.13 |
0.28 |
0.24 |
97.9 |
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注:石膏;硫酸カルシウム、硫マ;硫酸マグネシウム、塩マ;塩化マグネシウム 塩カリ;塩化カリウム、塩分;塩化ナトリウム
更に古い時代の塩はどうだったのか。明治時代は苦汁分が少ない「真塩」と苦汁をかけて嵩増しした「差塩」がありました。真塩は塩分80%以上が多く、差塩は80%以下が多かったようです。明治39年統計から引用すると大部分が塩分として70〜75%であり、現在では一寸想像できないくらい純度の低い塩でした。この時代は真塩は大変高級品であり、現在も「真塩」は高級イメージですし、和食では低純度の塩をどのようにしておいしくするかという工夫、例えば京料理での「あく抜き塩」のような技法が発達しました。
生産数量9.4億斤(56万トン)
1等塩(90%以上) |
0.1% |
2等塩(85%以上) |
2.2 |
3等塩(80%以上) |
13.6 |
4等塩(75%以上) |
16.1 |
5等塩(70%以上) |
64.1 |
等外塩(70%以下) |
3.8 |
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更に古くなるともうはっきりしたデータがありません。江戸時代は明治末期と製法が似ているので純度70〜80%程度の明治末期と大きな差がない塩が作られていたと考えられます。平安期以前の藻塩焼き時代までさかのぼると、製法がはっきりしなくなりますが、製塩土器で煮詰めたり、塩釜神社のお釜(古式の平釜)などの場合は純度70%以上の塩を作るのはそれほど困難なことではなかったと思われます。しかし伊勢神宮で行われている焼き固めの塩が保存用の塩として作られていたことも考えられるし、藻塩を塩が付着した状態でそのまま焼いて塩を作ったとした説もあるので、あまり古い時代については判らないと言った方がよいのでしょう。 |
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