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製塩方法の歴史的な変化

塩の近代史メモ

昔の塩と今の塩
塩の近代史メモ
 塩作りの歴史の大筋をホームページ「日本の塩」の「塩の歴史」に紹介しました。
ここでは過去100年の簡単な歴史を紹介します。

 明治38年、95年前に塩は専売制になりました。日露戦争の戦費調達のためというのが表の理由付けでしたが、実際は外国からやすい塩が輸入されるようになって、日本の塩業の存続が危なくなったこと。これは塩が人間が生きて行くにはなくてはならない物で、塩が自給できないと国家の安全に関わる問題だったからです。しかも塩業は小資本ですから買収なども簡単にできてしまうという事情もあります。諸外国も総て塩は自国で生産しているのです。もう一つは日本の塩は大変品質が悪く、当時の重要な輸出品であった塩蔵魚類は、日本の塩では輸出できず、外国から塩を買わなければならない状態で、品質の向上も重大課題だったのです。当時の品質については、「昔の塩」のコーナーを見て下さい。 当時専売局はコストを下げるための合理化と、品質の向上に積極的に取り組みました。不良塩田整理を進めて、大変なリストラをしました。煮詰め釜の改良を進めて、昔風の平釜から、蒸気利用式平釜、そして昭和初期には現在の煮詰め方法である真空式多重効用缶に変わっていきました。

 しかし第二次世界大戦の敗戦により塩業は壊滅的打撃を受け、大変な塩不足時代となり、全国各地で自給製塩といわれた海水を直接煮詰めて作る製塩が行われるようになりました。政府は塩田の回復を進めると共に、学術振興会の中に製塩の特別部会を作って技術の向上にも努めましたから、この不足時代は2,3年でほぼ解消しています。製塩の特別部会はその後日本塩学会(現在の日本海水学会)になりました。まだ工業化の回復が遅れていたので余剰電力を使った加圧式製塩(蒸発蒸気を加圧して温度を上げて熱源にする方法)で海水を直接濃縮する製塩法が各地で行われるようになりました。塩田の改良も進められ、昭和20年代後半に昔からの入浜式、揚浜式などの塩田から流下式に変わっていきました。しかしこのような大増産計画の進展と共に塩が大過剰になってしまい、昭和35年には再び塩業整備という塩田廃止が進められることになりました。

 昭和20年代末から基礎的研究が進められていたイオン交換膜を使った膜濃縮せんごうの方法が、昭和40年代になってやっと実用化の見通しが出てきました。そして昭和47年全国7社だけが残り国内製塩を行うようになったのです。
これで大変な省力化、コストの削減が実現しました。しかし少塩種、多量生産は合理的ではありますが、塩種が少ないという問題がありました。生活レベル向上に伴い変わった塩種への要望が出てきたことや塩業を止めた人たちの運動などもあって、専売制で販売される塩以外の塩を販売する動きが活発になり、これらは特殊用塩として専売のルートを通さない塩が主に家庭用小袋包装で増加しました。専売制以外の塩は自然塩という名前で宣伝し、名前のイメージも良く言葉として定着してきました。

 平成9年に塩の専売制は廃止され、塩事業法が施行されました。これは規制緩和の動向の中で決定されました。輸送費を入れてもまだ国産塩は外国塩よりコスト高ですから、激変緩和措置として輸入については5年間は大口輸入については塩事業センターだけで輸入する一元輸入措置がとられています。
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